Homeへ戻る特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会:Africa Japan Forum

AJFがいつ、どうやって設立されたのか、何をめざしているのか、問い合わせ先、入会するにはどうすればよいのか、AJFに関心を持った方はご覧下さい。


AJFの活動

AJF前事務局長 尾関葉子さんインタビュー
TICAD III〜IVへの取り組みを振り返って
Evaluation of the AJF's activities on TICAD 1-3

AJFは、季刊の会報「アフリカNOW」を発行しています。AJFの活動紹介にとどまらず、アフリカに関する最新情報を伝える、日本で出会えるアフリカを紹介する内容の記事を掲載しています。

【アフリカNOW No.80(2008年発行)特集記事です】

おぜき ようこ商社、UNHCR(国連難民高等弁務官)駐日事務所、AJFでの勤務を経て、2001年にDADA(アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト)を立ち上げ、現在に至る。現職の他、調布市市民活動支援センター運営委員、隔月刊誌『NPO マネジメント』編集委員(「アフリカNGO事情」連載中)。

ー 尾関さんはAJF(Africa Japan Forum:アフリカ日本協議会)の結成母体になったアフリカシンポジウム実行委員会の専従を担われ、1994年3月のAJF結成から1999年3月までは事務局長、その後2000年3月までは副代表として活躍。また、ACT(Civic Action for TICAD・ / Action Civile pour TICAD・:TICAD・に向けた市民行動)とACT2003(Civic Action for TICAD・ / Action Civile pour TICAD・:TICAD・に向けた市民行動)では世話人の一人を務められました。今日は、1993年のTICAD・(1)、1998年のTICAD・、そして2003年のTICAD・のそれぞれにおいて、尾関さんとAJFがどのように関わってきたのか、TICADに向けたNGOの活動を通じて尾関さんがどのように考えられたのかについてお聞きしたいと思います。最初に、TICAD・に向けた活動を開始された契機と、その当時のアフリカに関わる日本のNGOの事情について話してください。

尾関 1993年3月の朝日新聞に、日本政府(外務省)が10月5〜6日に東京アフリカ開発会議(TICAD)を開催するという記事が掲載されました。私が覚えている限りでは、そのときがTICADにふれた最初のときだったと思います。この前年の1992年にカンボジア復興会議が東京で開催されていましたが、そのときにはカンボジアのNGOと現地に入っている欧米や日本のNGOとの間でつくられていたコンソーシアム(共同事業体)を中心にして、カンボジア復興会議に市民の声を届けようという活動がすでに始まっていました。

 この一連の活動にはJVC(Japan International Volunteer Center:日本国際ボランティアセンター)も関わっており、当時のJVCスタッフや研究者などJVCの周辺にいた人々の間で、TICADに対してもNGOが同様のアクションを起こせないかということが話題になったのです。JVCは当時アフリカではエチオピアと南アフリカでプロジェクトを実施しており、私自身は日本国内でJVCアフリカチームに参加していました。そこでJVCなどが呼びかけてアフリカシンポジウム実行委員会を結成し、私が7月1日付けでこの実行委員会の専従になりました。

 アフリカシンポジウム実行委員会を結成する前から、TICADに市民の参加を認めてほしいという要求を掲げて外務省と交渉していましたが、外務省からは「TICADは日本とアフリカ各国の政府間会合なので民間の方の参加は……」という門前払いに等しい回答しか返ってきませんでしたし、TICADに関する情報も私たちには知らせてはもらえませんでした。こうした状況に対して、まずはアフリカシンポジウムを開催して私たちの活動に社会的な注目を集めることを当面の目標にしたのです。

当時はアフリカシンポジウムを開催するという話をすると、「日本のNGOがアフリカでがんばっている姿を伝える」と思われがちでした。日本のNGO関係者の間ですら、アフリカの人々によるNGOが存在していることを知らないという人が少なくなかったですね。また、アフリカの各地で活動している個人やNGO(2)の多くは、現地のコミュニティや住民組織と一緒に活動していて、自分が関わっている地域以外の情報はどうしても限られてしまう。そのために、アフリカ全域でのNGOの活動については、ほとんど知られていませんでした。

   アフリカシンポジウムは、TICAD・本会合の直前の2003年10月2〜3日に早稲田大学国際会議場で開催。定員が400の会場に2日間でのべ700人が参加しました。海外からのゲスト10名には、1週間以上前に日本に来てもらい、日本の人々やNGOと時間をかけて話をしてもらえるようにしました。アフリカシンポジウムの分科会でも、とにかくじっくりと話し合って相互理解を深めてもらうことを重視しましたね。

ー TICAD IIIの本会合のときは、どのような活動を行ったのですか。

尾関 10月4日には、その前日までのアフリカシンポジウムで採択した「市民提言書」を黒河内康TICAD担当大使(当時)に渡しました。黒河内さんにはそのときにはじめてお会いしたのですが、私たちが外務省にもアフリカシンポジウムの招待状を送っていたことにふれて、「外務省からも誰か人を送りたかったのだが、TICAD直前の準備のために多忙で誰も行くことができなかった」と話されていたことが印象に残っています。

 TICAD IIIは10月5〜6日に開催。本会合の直前になってNGO側からアフリカ人=1名、日本人=1名、カナダ人=1名(アフリカシンポジウムに参加していたPAC: Partnership Africa Canadaのメンバー)のみに限定した傍聴パスをもらい、その他にも数名がレセプションにも招待されました。他のアフリカからのゲストには分科会のみを傍聴できるパスが出されましたが、ふたを開けてみるとそのパスで全体会も傍聴することができました。さらに、全体会の最後のまとめでは黒河内議長が「この会議にはNGOも参加しており、提言書もいただいている」と発言。全体会の会場の外にあるパンフレット置き場に私たちの提言書を置くことができ、実際に数百部用意した英文の提言書はすべてなくなっていました。

 外務省の対応が変化していった背景として、私たちの活動がマスメディアで何度も取り上げられたことが、ある程度関係していたと思います。アフリカに関する情報がまだめずらしい中で、全国各地の新聞(共同通信の配信記事を掲載)や朝日新聞などでアフリカシンポジウムのことが報道され、短時間でしたがTBSテレビでも放映されました。NGO側の動きがマスメディアに注目されていたことについては、TICADを直前に控えていた外務省も気にしていたようです。

ー アフリカシンポジウムを準備する中で、どうしてAJFを結成しようということになったのですか。

尾関 アフリカシンポジウムの開催直前に、アフリカと日本の市民やNGO・住民組織のネットワークを強化していくための恒常的な団体をつくろうという意見がだされ、「市民提言書」にも「市民による『対アフリカNGO協議体(仮称)』を形成し、アフリカの人々の地域自立に向けた開発に積極的に取り組む」という一文を掲載しました。ただし、どのような活動を行うのかという具体的な展望が最初からあったわけではありません。アフリカシンポジウムには多くの人々が集まったが、それらの人々の間でもお互いのことをよく知らないという現状を変えるために、日本でアフリカに関わる人々や団体のネットワークをつくるためにはどうしたらよいのか、NGOや住民組織が公的資金を運用できる仕組みをつくるためにはどうしたらよいのか、などの議論を行いました。アフリカシンポジウムの終了直後から準備を進め、約半年を経た1994年3月にアジア経済研究所国際会議場で設立シンポジウムを開催し、AJFがスタートしたのです。

ー AJFを設立して、どのような活動を始めたのですか。

尾関 まず最初に行わなくてはならないと決めていたのは、アフリカシンポジウムに招へいしたアフリカのNGOの活動現場を実際に見にいくことでした。そこで毎年、調査を実施し、シンポジウムを開催するという活動の枠組みをつくりました。当時は外務省がNGOにも補助金を拠出し始めたころで、補助金の対象事業の一つに「国内での研修」という項目があり、この補助金も使い、アフリカに調査に行き、アフリカからゲストを呼んでシンポジウム開催、日本国内のツアーを実施しました。日本ツアーを実施したことで、東京以外の地域にいる人々が活動に参加してくださり、AJFのネットワーク拡大に結びついたと考えています。        

またAJFを設立したことで、アフリカから日本に戻ってきた個人が日本においてアフリカに関わる活動に参加するときの受け皿をつくることができました。政府との直接対話は、AJFに参加した人たちにとってとても大きなことだったようです。AJFに参加することによって、アフリカと日本の関係をどこかで変えていくことができるのではないかと期待を抱いたり、AJFの活動が新聞で報道されて誇らしい気持ちになった、というお便りをくださった会員の方もいらっしゃいました。

ところで、AJFが発足した直後の1994年4月には、ルワンダでジェノサイドが起こっています。その年の6月くらいには、アフリカシンポジウムに参加したFAVDOやジンバブエのAWCと連携していたEUROSTEPというヨーロッパのNGO連合体を通じて、ルワンダでのジェノサイドの現実を知るようになったのですが、そのときはとにかく「何が起きているのかよくわからない」という状態で、この事態に対してきちんとアピールしていくことはできませんでした。それでも、この事態が明らかになるにつれて、とにかくAJFとしてルワンダの現状をきちんと見てこようという提案がAJF内でもあがってきたのです。

しかしこの提案に対しては、「派遣するスタッフの安全にどう責任をとるのか」という批判もだされ、正直、AJF内部でかなりもめました。結局9月になって、ルワンダに詳しい松本雪花さんと当時JVCエチオピアに駐在していた壽賀一仁さんの2人をAJFから派遣し、当時の様子や援助の模様、アフリカNGOの置かれた状況などを伝えることができました。そのときに撮ってきた映像がTBSでも放映されています。

「派遣するスタッフの安全のためにとる責任」とは何か、いまでも私にはわかりません。とにかく1日に1回は電話やFAXで連絡をしてもらうことを決めていましたが、その連絡がどの時間に入るかわからない。日本にいる私たちがせいぜいできる「責任の取り方」と言えば、連絡してきた時に電話に出られるようにスタンバイしていたこと位です。自宅では、電話の前で仮眠する日が続きました(笑)。

 AJFはアフリカでの個別支援事業をおこなう方針はなかったため、その後、ルワンダへの支援をどうするかということも議論の争点になり、AJFの中に現在のARC (Africa Reconciliation Committee:アフリカ平和再建委員会)につながるグループが誕生し、活動を始めていったのです。

ー 1998年のTICAD・のときは、どのように対処されましたか。

尾関 TICAD・開催時には、2回目のTICADを開催するかどうかは明確に決められていませんでした。1996年4月に南アフリカで開催されたUNCTAD(国連貿易開発会議)第9回総会の場で池田外務大臣(当時)が、1998年10月にTICAD・を東京で開催することを発表したのが最初だと思います。

 1997年6月に、TICAD・担当大使などの後に外務省を退職し、アフリカ協会の事務局長(当時)を務めていた黒河内康さんからAJFに「TICAD・の前にNGO側で会議を開き、提言書を作成してはどうか」という打診がありました。そして黒河内さんの口添もあって、1997年11月に東京で開かれたTICAD・準備会合(3)の前から外務省と定期的に協議を行いました。

 ただAJFは、TICADを契機にして設立されたNGOであっても、TICADのためにできたNGOではなく、発足してからはアフリカに関わるNGOのネットワークの形成、日本でアフリカに関わる人々をフォーラムとして組織していくことが活動の中心になっていました。また、1998年にはAJFビジョン99委員会、翌年にはAJFビジョン2000委員会を設立して組織体制と将来展望の再検討を実施。1999年3月の総会からワーキンググループの活動が始まっていた頃でもあります。実際のところ、こうした時期にTICADについての活動に力を入れていく余力はありませんでした。TICAD・を迎える中で、アフリカに関わるいくつものNGOなどからは、AJFがTICAD・に向けた活動の中軸を担うだろうと思われていましたが、ロジスティック(実務)の大変さを知る役員や会員からは、「TICAD・についての活動のロジは絶対に担うな」と念を押されたほどです(笑)。

 その一方で、AJFがTICAD・を契機にして設立されたNGOであり、TICAD・について外務省からも声がかかってくる以上、AJFがTICAD・に向けて何らかの役割を担うことも当然のように求められているのを感じていました。結局、AJFも一団体として参加するコンソーシアムを形成してTICAD・に向けた活動を行うことになり、1998年4月にACT(4)が結成されたのです。ACTはアフリカ協会が窓口になっていましたが、実際のロジは世話人である個人や団体で分担するようにしていました。

  TICAD・の直前の1998年10月16日にアフリカ協会と関西アフリカ協会の主催で、アフリカから10名のゲストを呼んで「NGOによるアフリカ開発へのヴィジョンと提言」と題した国際シンポジウムを開催。TICAD・本会合(10月19〜21日に開催)では、共催者が選んだアフリカから10名、欧米から10名、日本から10名のNGO関係者の参加(傍聴)枠があり、この国際シンポジウムでは、TICAD・本会合の参加予定者を招へいしました。また、アフリカのNGOからの参加者の人選については、TICAD・共催者の国連機関(UNDP:国連開発計画、OSCAL:アフリカおよび最貧国特別調整室)が担当していましたが、ACTでも推薦NGOのリストを作成し、最終的には、アフリカのNGOからの参加者10名中の8名は、ACTが推薦したNGOのメンバーが選ばれました。

ー TOCAD IIIにおいても、NGOからの提言書を作成・提出していますね。

尾関 そのことはACTの活動の中軸に位置づけていました。TICAD・の経験から、TICADの本会合で採択される宣言文の内容は事前のプロセスでほぼ決まってしまうことがわかっていたので、TICAD・本会合の直前に提言書を作成するのではなく、TICAD・の準備会合の機会に提言書を提出し、TICADの事前プロセスから議論に参加して、本会合で採択される宣言文の内容にNGO側の意見も反映させていこうとしました。そこで第一弾として、ACTの結成前にいくつかのNGOで連携して、本会合の1年前に開催されたTICAD・準備会合のときに提言書を提出したのです。  このときに提言書の作成に参加したNGOの間では、アフリカで活動している日本のNGOが地道に草の根の現場で行っている活動を積み上げた経験から生まれる意見をまとめて、それぞれのカウンターパートナーの声も盛り込みながら、日本のNGOの提言書を作成しようという意見が主流を占めていました。これに対して、私も含めてAJFのメンバーは、アフリカの開発に関わる提言をする以上、アフリカのNGOが自らの言葉で語ることが必要で、アフリカと日本のNGOが一緒になって提言書を作成することを主張しました。結局、TICAD・準備会合のときには、日本のNGOの提言書と、AJFがまとめたアフリカ・欧米のNGOの提言書の2本を提出しました。AJFが単独でもこうした行動をとったのは、アフリカの人々の声を届けることを最も重視しており、日本のNGOの提言書だけでは不十分だと判断したからです。このアフリカのNGOの提言書は、TICAD・だけを対象にしたものではなく、ちょうど運動の焦点になりはじめていた債務の問題などについて、アフリカのNGOが常に言っていることを総論的にまとめたものです。

 その後、この2つの提言書をたたき台にしてTICAD・本会合に向けた提言書づくりを進めていきました。TICAD・本会合に提出した提言書「アフリカ開発のための新たなパート名シップに向けて〜TICAD・に対するNGOの共同意見〜」は、ACTのメンバーで作成を分担して、日本のNGOの意見をまとめるだけなく、アフリカのNGOの意見も直接に書き込んだものになりました。

提言書を完成させるために、TICAD・本会合の前日の10月18日に会場のホテルニューオータニの一室で、来日したアフリカのNGOのメンバーと提言書の最終的な作成作業を行い、その日の午後には提言書を印刷するという予定にしていました。ところが、アフリカのNGOのメンバーに事前に送ったはずの提言書のたたき台を受けとっていない人や、受けとっていても読んでいない人もいて、結局のところ、TICAD・本会合の初日10月19日をすぎた深夜の2時に、ようやく提言書の英語版のみが完成する(提言書は仏語版と日本語版も作成)という事態を迎えることになりましたね。

 

 またTICAD・の本会合では、ACTの作成した提言書が参加者に公式資料として配布されただけでなく、NGO側全員が参加することができました。しかも、本会合の共同議長の一人であったマリのコナレ(Alpha Oumar Konare)大統領(当時)が会議の冒頭で「今日はNGOのメンバーも含めて多様な人が来ているから、それに応じて多様な意見を聞きたい」と表明してくれ、NGO側から自由に発言することもできました。この点はTICAD・のときとは明らかに異なっていますね。

ー NGOが提言書を作成・提出したことは、TICAD・で採択された「東京行動計画」などに何らかの点で反映されたのでしょうか。

尾関 TICAD・に対してNGO側が活動を始めた1993年は、その前年にリオデジャネイロで開催された地球サミット(環境と開発に関する国連会議)に多数の人が参加者したことなどが契機になり、日本国内でもNGOのコンソーシアムができはじめたころでした。さらに1995年の阪神・淡路大震災の被災者への支援活動を通じて NPO・NGOの活動が社会的に注目され、1998年にはNPO法人法(特定非営利活動促進法)が施行されます。そしてこの年から外務省のODA予算がかなりの割合で減少に転じ、その直後に外務省が「市民参加・国民参加」ということを言いはじめ、突然のように「NGO」や「パートナーシップ」という言葉が強調されるようになります。  こうした経過の中で、TICADにおいてNGOが「参加」することは、外務省の意図にも合致していたと言えるでしょう。TICAD・の準備のためにUNDPが主催して1998年5月にブルキナファソなど3カ国で開催されたアフリカ・リージョナル・ワークショップにもアフリカと日本のNGOが招待され、発言することができました。さらに、TICAD・に向けたアフリカ・リージョナル会合のときにも、NGOが参加して発言することができました。  しかしこうしたことは、ただ形式的に参加や発言を認めているだけでしかないとも言えるのではないでしょうか。TICAD・のときにNGO側が参加し自由に発言することができたとしても、本会合で採択された「東京行動計画」は最初から別個のところで作成されている。「東京行動計画」のドラフト委員会に参加している一部の国の代表を除いて、アフリカの国の代表であっても、自らの意見を「東京行動計画」に直接に反映させる機会は限られていたのです。ですから「(NGOの声が)反映されたのか」と問われるならば、NGOが提言書の作成・提出に全力をそそいできたにもかかわらず、2003年のTICAD・のときまで含めて「反映されていない」と言わざるをえません。

ー 「NGO意見が反映されない」ことが予測されるTICADになぜ全力をそそごうという気持ちになったのですか。

尾関 う〜ん、難しい質問ですね。新聞などのマスメディアでTICADについての報道が始まると、「NGOは何か発言しなくてはいけない」と構えていたところもあったと思います。報道が増えれば、NGO間でも気持ちが駆り立てられ、「何かアクションを!」と思ってしまう。その意味では、TICADが近づいてくるにつれて、AJFの中でもTICADに対する関心が高まってくることは、必然的なことでもあったのです。また私自身は、TICADについてのロジの引き継ぎをしようと自分で決めていたので、ACT2003でも世話人の一人になりました。  TICADに向けた活動を行ってもあまり達成感は得られない、まして、国際シンポジウムを開催するときに最も大変な活動であるロジは誰も積極的に担いたくない上に、ロジを担う人を支える資金はどこにもない。こうした事情があったからこそ、TICADに向けた活動が継続されなかったと言えるかもしれません。

ー TICAD・が終了して、TICAD・に向けた活動はどのようにして始まったのですか。

尾関 TICAD・の終了直後にはACTの中で「TICAD・は絶対に開催されるから、ACTの組織と活動を継続しよう」という意見もだされました。しかし、ACTの活動を担ったほとんどのメンバーは、「ACTを組織として残すことにどのような意味があるのか」といった意見を述べて、結局ACTの活動は引き継がないということになりました。また活動報告についても、アフリカ協会がシンポジウムの報告書を作成しましたが、ACTとしては報告書を作成しませんでした。  TICAD・に向けた活動は、2002年の8月に旧ACTのメンバーが中心になって会合を持ち、その後数回の会合を開いた後、12月にACT2003(5)という名称を名乗り、会員を募って、2003年5月に総会を開いて新たなスタートを切りました。

ー TICAD・に向けた活動について、どのように評価されていますか。

尾関 TICAD・からTICAD・に至る間の大きな変化として、大学において国際協力に関わる講座やサークルが増え、学生時代からNGOの活動に参加する人が多くなってきたり、政府系機関や開発コンサルタントなどのODAの関係者がNGOに参加するようになってきたことがあげられるでしょう。そのことによって、国際協力のNGOのなかでもアドボカシー活動に関心を抱いたり、アドボカシー活動を担う人々やNGOが大幅に増えてきたのではないでしょうか。  また、TICADの中で外務省がNGO側に主に期待していたのは、アフリカ開発についての「総論」ではなく個別の「各論」についてのより技術的な提言でした。NGOに参加するODA関係者などは、そうした「各論」を語る点では秀でている人も少なくないので、外務省としても話しやすく、NGOや市民と距離感も縮まったと言えるでしょう。一方で、TICAD・からTICAD・にかけてAJFが強調してきたことは、「総論」づくりをアフリカの市民と政府に委ねろ、最も必要なことは「総論」を変革させることだ、ということでした。TICAD・のときは、NGO側においても「各論」についての議論が主流になってきたと受けとめています。このことは、特にTICAD・のときから顕著になってきたのではないでしょうか。  さらにAJFが一貫して言ってきたことは、「顔が見える援助」とはアフリカ人の「顔」が見えることであり、日本人の「顔を見せる援助」ではないということでした。TICADにおいて外務省は、特に「各論」の部分において、日本人や日本のNGOがどのように実績をあげる(あげた)のかという話をしますが、そうしたことだけが重要なポイントであるとは思えません。  ただ債務の問題のように、「各論」での議論や運動が突破口になって、開発や援助のあり方の「総論」を変えていく力になるということもあるわけです。また、それぞれの現場において分野別に活動している多くのNGOが「各論」を重視するということは、ごく当然のことだとも思います。しかし、個々の課題について技術的に議論を詰めていっても、「各論」の話だけで終わってしまう危険性があります。  TICAD・に提出したNGO提言書は、「アフリカに栄光あれ」と題した前文をつけていますが、提言そのものは6つの課題それぞれに即したものになり(6)、TICAD・とTICAD・のNGO提言書とは構成が異なり、「総論」よりも「各論」を重視したものになっています。TICAD・のときには、NGOが分野別に専門化していく中で、開発や援助のあり方について「総論」についての議論はあまりだされなかったと記憶しています。

ー 最後に、TICADへの関わりを振り返って、尾関さん自身は現在どのように考えらていますか。

尾関 例えば、TICAD・本会合における「市民社会との対話」セッションをみてみると、TICADによって何か変わったかと言えば、何も変わっていません。市民が台頭してきたことだという向きもありますが、それはTICADとは関係なく、日本社会全体がそうなってきたからです。  援助も同様で、外務省だけみていては何も変わらない。もっと言えば、中央省庁だけみていてもだめなわけです。結局、自分の住んでいるところの政治からみて変えていく必要があると、今は思っています。  「TICADの成功」があるとすれば、それは、TICADの成果ではなく、地道に開発事業を粛々として実施してきた人たちの積み重ねの成果です。では日本は、その積み重ねを後押しするような政策を国として考えてきただろうか。結局、内実が変わっていないのであれば、なんのために会議に膨大な税金を投入するのでしょうか。TICAD IIIのときには、TICAD IVはないだろうという見方もありましたが、昨今のエネルギー問題や中国のアフリカ進出で、プレゼンテーションとしてのTICADがますます先行するのではないか、と思ってみています。  日本の対アフリカ援助を担当する各省庁の担当者は、TICADに何も影響されていない。予算がその年の前後で増えるか増えないかの違いだけでしょう。その意味では、外務省の担当部局がいかに準備や当日の裏方を必死で行ったとしても、TICADに対して「本気」で取り組んでいるとは言えないのではないか。そうすると「TICADって何だろう?」と疑問を覚えてしまいます。  私自身は、TICADのときに限らず、アフリカに関わるすべての開発や援助は、アフリカの人々を主語にして語られるべきだと思っています。確かに、この15年間で日本の開発支援事業は大きく変わりました。しかしそれは、ODAやNGOにかかわらず、直接アフリカの人々と向き合う現場のスタッフの地道な努力があるからです。では、その開発支援政策をつくる日本政府側はどうかというと、いまだに「日本人や援助国が考える開発や援助」という発想をしているのではないでしょうか。 TICAD・のときに提唱された「自助努力」(self reliance)は、TICAD IIから「主体性」(ownership)に変わり、TICAD IIIの際に採択された「TICAD10周年宣言」では、 「オーナーシップ」となり、TICAD・のコンセプトペーパーでは、「オーナー シップ(自助努力)」と表現されています。“ownership”は「権利」であって、「意識」や努力の末に勝ちとるものではありません。「所有権」や「主権」と訳してみると、言葉の持つ意味がみえてくるのではないでしょうか。

2008年3月7日 東京・新宿アフタヌーンカフェにて
聞き手・構成:茂住 衛

【注】

(1) TICADの名称は、1993年のTICAD・では「東京アフリカ開発会議(TICAD: Tokyo International Conference on African Development)」であったが、1998年のTICAD・から2008年のTICAD・までは日本語で「アフリカ開発会議」と称し、英語名のTICADはそのまま継続して使用している。なお、1993年のTICADの開催当時に「・」という番号は付けられておらず、1998年にTICAD ・を開催したときに、さかのぼって1993年のTICADをTICAD・と呼ぶようになった。
(2) 1995年5月にAJFが発行した冊子『体験から協力へ〜アフリカで活動するNGOは今』では、アフリカで活動する日本の42団体(AJFを除く)が紹介されている。
(3) TICAD・準備会合は、アフリカ各国から閣僚を招いて東京で開催された。なおTICAD・では、2007年10月にザンビア・ルサカと2007年11月にチュニジア・チュニスで地域準備会合が、2008年3月にはガボン・リーブルビルでTICAD・閣僚級準備会議が開催された。
(4) ACTには40を超えるNGOのメンバーが個人の資格で参加。共同代表3名を含む11名の世話人の体制で活動。世話人の所属団体(当時)は次の通り(日本語の名称順)。
 アフリカ協会、アフリカ日本協議会(AJF)、アフリカ平和再建委員会(ARC)、笹川アフリカ協会、ジョイセフ(家族計画国際協力団体)、日本国際ボランティアセンター(JVC)、日本フォスタープラン協会、緑のサヘル、FGMに反対する女たちの会。
(5) ACT2003はAJF内に事務局を置き、代表1名と副代表1名を含む世話人6人と専従事務局員I名の体制で活動。世話人の所属団体(当時)は次の通り(日本語の名称順)。
 アフリカ協会、アフリカ日本協議会(AJF)、アフリカの開発のための対話プロジェクト(DADA)、アフリカ平和再建委員会(ARC)、途上国の債務と貧困ネットワーク、日本国際ボランティアセンター(JVC)  上記団体の他に、次の5団体が賛同団体になった。  アフリカ地域開発市民の会(Can Do)、アフリカ理解開発教材プロジェクト、アーユス仏教国際協力ネットワーク、モザンビーク支援ネットワーク
(6) TICAD・本会合に提出したNGO提言書は、前文と次の6つの提言で構成されている。  1. 債務帳消しと「公正で透明性のある仲裁メカニズム」に関する提言 2. HIV/AIDS・感染症対策に関する提言 3. 持続可能な農業開発に関する提言 4. 紛争予防・平和構築に関する提言 5. 教育に関する提言 6. 将来の評価のためのTICAD精神を体現するプロジェクトに関する提言

(囲み記事)

TICAD・直前のアフリカシンポジウムに海外から招へいしたゲスト
(名前、出身国、所属団体。出身国順:アフリカ西部→中部→東部→南部)
マジード・ンジャイ(Mr. Mazide Ndiaye)、セネガル、FAVDO: African Voluntary Development Forum Organization/ユバ・ソコナ(Mr. Youba Sokona)、マリ、ENDA-TM: Environnment et Developpement du Tiers Monde/ンゴニリ・ゴス・ムバイロ(Mr. Gos Ngorini Mubairo)、チャド、Care International Chad/テクレボイニ・アッセファ(Mr. Tekureoini Assefa)、エチオピア、REST: Relief Society Tigray/サルフィソ・キタボ(Mr. Sarfiso Kitabo) エチオピア、FHI: Food for Hungry International/モリー・ルワンバ・ンジェロ(Ms. Molly Ruwamba Njero)、ケニア、KIOF: Kenya Institute of Organic Farming/ワンガ・グレイス・ムンバ(Mr. Wanga Grace Mumba)、ザンビア、EPC: Environment and Population Center/セカイ・ホーランド(Ms. Sekai Holland)、ジンバブウェ、AWC: Association of Women’s Club/ノクゾラ・マギダ(Ms. Nokuzora Magida、南アフリカ、ICDC: Ishinamba Community Development Center/コメン・スーンスマン(Mr.Komen Sunsman)、タイ、JVC Thailand: Japan International Volunteer Center Thailand

【パンフレット紹介1】
『アフリカシンポジウム報告書〜アフリカのゲストは何を語ったか』、1994年、アフリカ日本協議会(旧アフリカシンポジウム実行委員会)
*AJF事務所に在庫有り(残部僅少)
1993年10月2〜3日に早稲田大学国際会議場で開催された「アフリカシンポジウム〜アフリカは今 地域自立に立ち上がる人々〜」の報告とTICAD・の資料や新聞報道を掲載。このシンポジウムの実行委員会を母体として1994年3月にAJFが結成された。

 TICAD・直前の国際シンポジウムおよびTICAD・本会合に参加したアフリカおよびカナダからのゲスト
(名前、出身国、所属団体。出身国順:アフリカ西部→中部→東部→南部)
マジード・ンジャイ(Mr. Mazide Ndiaye)、セネガル、FAVDO: African Voluntary Development Forum Organization/ユバ・ソコナ(Mr. Youba Sokona)、マリ、ENDA-TM: Environnment et Developpement du Tiers Monde/レネ・セグベヌ(Mr. Rene Segbenou)、コートジボアール、INADES-Formation/ハッサン・スモヌ(Mr. Hassan A. Sunmonu)、ガーナ、OATUU: Organization of African Trade Union Unity/メ・サジィク・アヨ・アラオ(Mr. Me Sadikou Ayo Alao )、ベナン、GERDDES-Afrique: Groupe d’Etudes et de Recherches sur la Democratie et le Devoppement Economique et Social - Afrique/ジャクリーン・コヨク(Ms. Jaqueline Nkoyok)、カメルーン、CONGAC: Confederation of Environment and Development NGOs of Central Africa/クブレ・ダーウィト(Ms. Kibre Dawit)、エチオピア、AVA: Africa Village Academy/チョールウェイ・ベヤニ(Mr. Choolwe Beyani) ザンビア、AFRODAD: The African Forum and Network on Debt and Development/リビオラ・ンジニ(Mr. Livion A.Njini)、ジンバブウェ、ORAP: Organization of Rural Associations for Progress/バス・ガウンデン(Mr. Vasu Gouden)、南アフリカ、ACCORD: African Center for the Constructive Resolution of Disputes/アクエテ・アカクポ・ヴィダー(Mr. Akouete Akakpo Vidah)、カナダ、PAC: Partnership Africa Canada

TICAD IV本会合は2003年9月30日〜10月1日に開催。その2ヶ月前の8月3日にアフリカから9名のゲストを招き、ACT2003の主催と外務省および朝日新聞社の後援で「アフリカのNGOがやってくる!」と題した国際シンポジウムを開催。
このシンポジウムに招へいしたアフリカからのゲスト
(名前、出身国、所属団体。出身国順:アフリカ西部→中部→東部→南部)
ユバ・ソコナ(Mr. Youba Sokona)、マリ、ENDA-TM: Environnment et Developpement du Tiers Monde/モロラケ・アデリノイェ・ンワグ(Ms. Morolake Aderinoye Nwagwu)、ナイジェリア、TAM: Treatment Action Movement/アスンタ・ワグラ(Ms. Asunta Wagura)、ケニア、KENWA: Kenya Network of Women with AIDS/イヴォンヌ・ハマティ(Ms. Yvonne Khamati)、ケニア、Africa Youth Forum/シルヴィア・アンゲイ(Ms. Silvia Angey)、ウガンダ、CDRN: Community Development Resource Network/エスペランサ・カイレビ(Ms. Esperence Kayirebe)、ルワンダ、ARTCF: Association Rwandaise des Travailleurs Chr?stiens Section Feminins/バーバラ・マセング・カリマ(Ms. Babara Masengu Kalima)、ジンバブウェ、AFRODAD: The African Forum and Network on Debt and Development/アルビーノ・フォルキーリァ(Mr. Albino Forquilha)、モザンビーク、CCM: Christian Council of Mozambique/レジナルド・マンドラ・メントール(Mr. Reginald Mandola Mentoor)、南アフリカ、SOMOHO: Soweto Mountain of Hope

【パンフレット紹介2】
『市民から見たTICADの10年〜TICAD・向けた市民行動(ACT2003)活動報告書 TICAD: 10 Years Performance and Evaluation from the standpoint of Civil Society 』、2004年12月、ACT2003活動報告書作成委員会
*TICAD市民社会フォーラム事務所に在庫有り(残部僅少)
2003年までの10年間のTICADプロセスへの評価をふまえ、ACT2003の活動とTICAD・について報告した資料集。英語+日本語版の合冊で発行されている。

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